やっと

2005年10月16日
解剖の嵐のような忙しさにも慣れ、日々の人間関係も割り切れるようになったのと共感者が多数いることを知って精神的に落ち着いたので、いろいろ考えてしまった。

普段何気なく続く日々。今私の周りにいる人たちの中で、怒涛のようなこの当たり前のような日々がいつか当たり前ではなくなることに気づいている人はいるだろうか?

私は知っている。
今一緒に大変だねとか言って行動することも、思い出の場所でふざけあったりすることも、いつか過去の話になってしまうことも。
クラスのみんなは多分知らない。私は二度目だから。

もちろん卒業したからといって、二度と会えなくなるわけではない。私も昔の友人たちとは今でもつながっているし。その気になれば、大学に集合して同じようなシーンを再現できるだろう。
その場所がたとえなくなっても、私たちのお互いの気持ちや生活は変わらないし。たとえ八事が他人の手に渡ったとしても。
でも、いつかいくら忠実に再現したからといって、あの頃の私たちではないのだ。

私がもっとも欲しいものは、当然「金」だけど、たまに昔を思い出した時なんかは「過去を取り戻せる方法」になったりする。
万が一昔に戻ったとしても、どうにもならないって分かってるけど。

今日解剖の合間の休憩でみんなで話している時にふとそう思った。みんなはたわいのない話をして笑ってたけど、私は少し悲しくなった。そして、日々当たり前だと思ってたことが特別なことだって気づいて、今までなぜ気づかなかったのだろうと少し後悔した。

本当の悲しみは、失って初めて気づくものだから。
恋愛も、友人も、住み慣れた場所も…

でも私はこれまでにもいろんなものを失い、悲しみ、でも立ち直ってきた。誰かがいつか言ってくれた。「地面と屋根とおかしとふとんがあれば我々は変わらない」と。
だから、変わらないことを信じて、日々をもう少し真剣に生きてみようと思う。

最後に。
久々に真面目な長文を書いて思ったこと。
ここの変換頭悪すぎ!「なれ」でいきなり「鳴れ」はないでしょう。(普通「慣れ」だと思うが。)その他もろもろ、変換について不満が多々あり。うちの携帯のほうがよっぽど賢いわー。

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m2f

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